2023/06/15 18:09

前回のブログに続き、和食の歴史について、時代ごとにどういう変遷をたどって今があるのか、掘り下げてみたいと思います。
和の食の全史:永山久夫書を参考としております。


1.    縄文時代は料理革命!?


およそ13000年前から始まる縄文時代は、氷河期から温暖化を迎える時期です。
そんな縄文時代に従来の調理法、焼く、天日干し、燻製といったものから、縄文土器(深鉢)=世界最古の深鉢の登場によって『煮る』調理法が誕生しました。

 

和食文化の出発点=『煮る』調理の始まりとも言われ、料理革命が起きました。


河川、入江で獲れるシジミやアサリは煮るのが効率よく、鳥の煮込みなども含め料理の範囲が拡大しました。縄文時代には採取・狩猟・漁猟による生活で、自然の恩恵を受けながら、旬の食材を味わう食文化でした。1年間自然の食材に頼る中、新たな煮る調理方も生まれたことなどもあり、多種類の食材を口にし、栄養を自然に満遍なく摂取していました。

 

2013年にユネスコ無形文化遺産に登録された「和食:日本の伝統的な食文化」は、南北に長く、四季が明確な日本ならではの自然を尊ぶ食の習わしを題したもので、以下、4つの特徴が挙げられますが、縄文時代から続く自然と共生する文化も影響しているのかもしれません。

 

(1) 多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重

(2) 健康的な食生活を支える栄養バランス

(3) 自然の美しさや季節の移ろいの表現

(4) 正月などの年中行事との密接な関わり

(※)農林水産省HP参照:https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/ich/

 

縄文時代の健康寿命は長いとされ、約1万年続いたとされる縄文時代は、自然の恩恵だけで満足な食生活=栄養バランスの取れた食事が維持できたことも理由の一つに挙げられます。

 

2.縄文晩期 稲作が伝わる


そんな縄文時代でしたが、晩期には気候変動が起こり、必要な食料確保が難しくなり人口も減少しました。一方、渡来人によって稲作が伝わり、水稲の栽培を開始し、今までになかった社会集団が形成されるようになりました。日本はアジア・モンスーン圏に属しているため、降雨量が多く、河川が発達している影響もあり、稲作に適した低湿地が形成されていました。

 

そのため、稲作文化が根付き、生産性を高めることを可能にし、勤勉な民族につながるとも言われています。

 

今回のブログでは縄文時代の食文化について触れましたが、食生活、民族性等、現代にも通ずるものが約1万年前から続いているのかもしれません。

 

ちなみに、当店のある七尾市田鶴浜は、縄文時代から集落があったことがわかっております。三引(みびき)遺跡では縄文時代初期には浜辺の集落を形成しており、この集落から県内最大規模の貝塚や日本最古の漆塗り竪櫛や丸木船の櫂などが発見されております。



次回は弥生時代以降の食文化について、ブログを書きたいと思います。