2023/06/23 11:55
和食の歴史について、時代ごとにどういう変遷をたどって今があるのか、掘り下げてみたいと思います。今回のブログは農耕文化が定着した弥生時代について記事にします。
和の食の全史:永山久夫書を参考としております。
1.ご飯におかずの文化の始まり
「和」の文化の殆どは、稲作によって育まれた。それはみずみずしい感性、表現力、習慣、行事、など人間関係にみられる文化にも影響しています。食に関しては、野山・海・河川から獲れる食材で食べる縄文食に、低湿地で造成した水田から米を食べるができるようになりました。
現在の和食の形、主食(お米)+おかずの形の基礎ができました。
お米の味は飽きのこない“うま味“であり、味も淡泊なので副食物を選びませんでした。(肉・魚・野菜・大豆等)
また、器にも変化が生まれました。
縄文は食材を煮るための深鉢が主流でしたが、弥生時代になると壺・甕・高坏が生まれます。
壺は、穀物の貯蔵に。
甕は、煮炊きに。(お米を炊くのに)
高坏は、食べ物を盛る器として。
当時は手で持って、食べていたため、固めに炊いたご飯を食べいていたそうです。
このように、弥生時代になるとお米を作る、食べる習慣が始まったことで、「一汁三菜」と言われる現在の和食の形がつくられていくこととなりました。
※ただし、米は連作で、収穫量も安定したので、稲を生産する水田を拡張しようとして、水の利用や土地をめぐり争いが生まれるようにもなりました。
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次回は奈良時代以降の食文化について、ブログを書きたいと思います。